子育ての意味のすべて今

子どもに当てはめようとする

子どもの工作を捨てるなんて冷たい
勉強の習慣がついていなかったりして

性教育は親が自然に

子供の肉体が成熟して、少年期に入ると、だんだん性の意識にも目覚め、これが親の一番の関心事となる。
「このごろうちの子と一緒におフロに入ると、私の体をジロジロ見て、気味悪くなっちゃう」「子供がトイレの窓から中をのぞいているのよ、いやらしくなっちやう」。そういう驚ろきを訴える母親もいる。近ごろの子供は小学校三、四年で、女の子はもう成熟してくるし、小学校1年でもあの子と将来結婚したいということが普通の会話として話されるバレンタインデーにはどの子にチョコレートを贈ろうかなどと、幼稚園でも言っているくらいで、それを見て親がオタオタしたのでは遅い。
幼稚園に行くころから、小さい子でもすぐ自分の性器にさわりたくなる。そのころから親は、そこは大事なところだから、きれいにしておかなければいけないと教え込まなければいけないと思う私は、もっと人間は自分の尊厳に目覚めなければならないといつも思っている。
イージートーンのすべて

子どもを依存的にする

人間自身が、自分というものは全く不思議なもの、こわいもの、いつ過ちをおかすかわからないもの、誘惑に弱いもの、それだけにいつも大事にしていなければならぬ、そんな心を幼いときから育て、性の神秘さ、性の大事さもそれと結びつけていく。
学校でも、ある年齢に達すれば、保健の先生が、女の子の体の目覚めを説明する。そのころになったら、もう男の子と女の子は別々におフロに入ると思うけれども、男の子は父親と、女の子は母親と一緒に入浴し、その機会に、学校の性教育だけを当てにしないで子供たちに体の神秘についての説明をする。親がひけ目を感じたり、ふざけて、あたかもいやしいことのように説明すると、子供自身が性を低俗なものと思ってしまう。
自殺する子供は、両親の不和の家庭に多いと言うけれども、それは、両親の仲が悪いとによって、自分に失望するからである。両親が愛し合って自分が生まれてきたということであれば、子供心に、自分に大きな誇りが持てる。

子どもを見ようとしている自分に気がつくはずです。

ところが、いつも両親が憎み合い、喧嘩し合って、しかも自分が生まれてきた、それでは動物の関係と同じではないかという気がして、自分がみじめになるだから親は常に、お父さんとお母さんは互いに愛し合っているのだということを子供に知らせなければと思う。私の知りあいには思春期の--中学生のー娘の前で、西洋風の抱擁をして見せる親がいるけれど、何も愛しあっているということを形にあらわし、ベタベタとからみあって見せる必要はない。日本風の表現で、子供も見馴れた形で十分である子供たちは愛するということにあこがれる。本当に愛するということは無償である。無償に生きることは美しい。
子育てに関してはい魂

子どもと生理的な命のつながりを感じる。

しかし、愛するということはいかにむずかしいか、愛するため親がいかに努力し、互いに歩み寄ろうとして苦労しているかという姿を見れば、それは子供に大きな生きがいを与えると思う。
子供たちに、楽なこととむずかしいこととどちらを選ぶかと聞くと、むずかしいことを好きな子の方が多い。これも中野区の子供の意識調査の結果に、「むずかしい問題を与えられたとき、あなたはそれをほっておくか、それとも何とか取り組んでやってみようとするか」という問いに対して、何とか取り組んでやろうとする子の方が、ほっておくという子の倍になっている。

子どもに与えなければなりません。
母親は逃げることができて助かったかもしれません。

母親の懐に守られた優しいけれどひ弱なタイプ

子供にむかって話す場合が少ない。これはごく当り前のことで、を出されれば、かえって喜ぶ子供はバイタリティ-に富んでいるから、むずかしい問題
愛というのは大変なことだと教えられれば、子供たちは、それではよりよく愛するにはどうしたらいいかということを考えるだろう。お父さんとお母さんの話をして聞かせるのもいい。お父さんとお母さんは見合いをした。見合いの席で初めて会ったとき、お母さんはこう見えた、お父さんはこう見えたという話でもいい。恋愛でも、大ぜいの男女の中から、お父さんとお母さんが一緒になるまでにはこういう経過があった、お父さんは、お母さんと知り合う前に、二人くらい好きなひとがいたけれども、そのひとに振られてしまったのだという話をしてもいい。
教育も何もとらえていない。

子供に見せないと決める必要はないと思います。

またお母さんも、自分の経験を話してやってもいい。
そういう話がいつも家庭の話題の中に入っていることが望ましい。反対に全く秘密主義隠蔽主義で、そういう話には絶対ふれてはいけないというやり方をすると、子供は好奇心が旺盛なので、お父さんとお母さんが知り合ったのは、何か悪いことがあったのではないかと勘ぐったりするただ、これはちょっと行き過ぎだと思う話がある。母親から、女の体は非常に厳かなもの、崇高なもので、ひとつも恥ずべきことではないと教えられたお嬢さんは、自分の裸を平気で人前に見せる。パンティ一枚の姿で出てきたり、「アタシのオッパイはこんなに大きくなったのよ。さわってごらんなさい」と言って、客の前にあらわれたりするという。